【ホンダ・アコード エアロデッキ】は偉大な相棒2

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クルマ道
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熱かった1980年代から90年代のクルマたち

1980年代から90年代は、日本のバブル景気真っただ中であったことに伴い、日本の自動車業界の歴史において、もっとも、輝いていた時代であり、開発競争がヒートアップした時代であったことは、間違いないでしょう。

大人はもちろんのこと、20代前後の若者たちもみな、大排気量、パワフル、高トルクのターボ付きスポーツカーや、ラグジュアリーカーにこぞって乗っていた、熱く輝かしい時代でした。

偉大な相棒アコードエアロデッキ2.0Si

筆者のケイも当時20代前半であり、ご多分に漏れず、ISUZU ジェミニZZTから、アウディー2.2リッターツインターボを経て、ホンダ アコードエアロデッキ2.0Siへと乗りかえていた時代です。その頃、サーフィンに夢中であったこともあり、友人と共に、相棒のエアロデッキとよくサーフトリップに出かけたものです。

2020年2月に10代目となる新型アコードが発売されたということもあり、偉大な相棒であった、アコードエアロデッキを振り返りたいと思います。

アコードエアロデッキとは、どんなクルマ?

先陣を切ってセダンのアコード/ビガーが、1985年6月5日に、そのあとに続いて、エアロデッキは、1985年7月20日に発売されました。1.8リッターと、2リッター DOHC16バルブエンジン、FF車で世界初の4輪ダブルウイッシュボーン・サスペンションの新技術を導入したクルマでした。

しかし、エアロデッキの方は、残念ながら1989年までしか製造されず、超短命に終わりました。たったの4年という短期間の製造だったということは、販売台数が伸びなかったということになりますが、その分希少価値があり、ケイにとっては、うってつけのクルマでした。

そんな短命に終わったクルマにも関わらず、第6回1985-86年の日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞しています。時代を先取りし過ぎたロングアンドワイドでローフォルムが受け入れられなかったのか?その数年後から、ステーションワゴン全盛時代を向かえたことを考えると、ほんの数年時代を先取りしていたことに間違いありません。

裏を返せば、開発のコンセプトは間違っていなかったと言えます。特に、そのデザインは、ルーフ後部から開くガルウイング型テールゲートが採用されており、リアルーフ部分がガラスエリアで、明るく、開放感のある空間を演出し、ライトはリトラクタブルヘッドライト(いわゆるパカ目)で、これまでになかった斬新なデザインでした。

2020年に復活させても、超クールで、古さを感じさせないデザインであると断言できます。こんな感じです。もう一度、エアロデッキの復活を懇願します。

地を這うような低く、ワイドなフォルム。

F-1テクノロジーや、いままで培ってきたノウハウを結晶させた美しいセダン&エアロデッキ。

セダンをはるかに超えたセダン。

それは、いままでのセダンの概念を変えてしまうほどのインパクトを、

そしてパフォーマンスを秘めている。

セダンだからといって安易に眠り続けることは許されない。

時代の先端を走ろうとするものが持つ、真摯な姿勢を身につけていなければならない。

新たに提示するもうひとつの個性、エアロデッキ。

室内空間を最大限に確保したうえで空力的に優れたロングルーフデザイン。

この車は、今後新しいデザイン・トレンドをつくりだしていくだろう。

出典:本田技研工業株式会社 PRESS INFORMATION 1985.6 から一部抜粋

本田技研工業株式会社

ACCORD/VIGOR(CONCEPT) 1985.06|プレスインフォメーション|Honda公式サイト
Hondaの製品説明書

また、あの頃のような熱狂的な自動車ブームが、エコロジーをふまえた新たな形で再来することを願っています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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